時計製作について
【江戸切子】
江戸切子について
江戸切子の始まりは江戸時代後期、大伝馬町のビードロ屋、加賀屋久兵衛(皆川久兵衛)が硝子に切子細工を施し、製作、販売したことが始まりとされています。
それは透明な鉛ガラス(透き硝子)に鑢の金棒と金剛砂によって切子細工を施し木の棒と金剛砂で磨き上げる熟練した手作業により製作されていました。
また当時の引札(現在の1枚刷りカタログ)には、江戸から明治初期のものへと改版ごとに製品の種類が変わり進化していきました。
描かれている製品には薬瓶、食卓用品、カットグラス、文房具、置物、など範囲は広く60余種の多岐にわたって製作されていたことがわかっています。
明治には、ヨーロッパの新しい技術が導入され、英人技師エマニエル・ホープトマンを迎え伝習生に教えられたことにより
江戸時代からの切子の伝統は途切れることがなく、また近代工業の要素を取り入れながら末長く存続する基礎を作り上げました。
以来、明治維新や終戦後の社会的混乱、大震災や大空襲など時代の波に揉まれながらも切子職人たちの努力により200年の長きにわたり大切に受け継がれてきました。
その後、昭和60年 東京都伝統工芸品指定、平成14年 国指定伝統的工芸品と認定され、現在に至ります。
江戸切子の文字盤 製造
昭和46年創業、伝統工芸の中では比較的若い工房でありながら江戸伝来の技術や伝統文様と工房独自のデザインを融合させ「先人が守り育てた江戸切子の技術を大切に継承し、発展させながら次の世代へ受け継いでいく」という原点を忘れることなく熟練した技術と経験に裏付けされた丁寧な作業で高い評価を得ています。
また、積極的に若手職人を採用、育成し技術継承にも定評があり、ものつくりが好きな創業者と、それを支える工芸を志す若者たちが集まった工房です。
株式会社ミツワ硝子工芸 彩鳳
- 動画
「菊繋ぎ紋 桜」の文字盤 製造工程
割り出し
菊繋ぎ文様の基準となる十字線をマーカーでいれていきます。
十字原点出し
割り出しによるマーカーの線上を十字に削り出していきます、菊繋ぎ文様の基準となるので非常に重要な作業になります。
直線深入れ作業
直線が斜めになったり曲がったりすると文様が歪むため慎重に進めていきます。
直線端部 深入れ
中心部分に比べ端面部は支える部分が非常に少ないため指で添えるように支え、削っていかなければなりません、そのため熟練した職人のみが行える高度な作業になります。
菊繋ぎ斜入れ
ここまでの直線が目安となり斜めの線が入ることによって菊繋ぎの模様が徐々に浮かんできます。
仕上げ
最後まで集中力を切らさず丁寧に仕上げていきます。